リレーエッセー【老いをめぐる私の想い】 川村雄次
生き延びることはよいことである
デイホスピスのボランティアの方と一緒に
川村 雄次
NHK 厚生文化事業団 チーフプロデューサー(撮影 高橋依里)
その日、私も、職場のテレビで、黒い水の塊が茶色い地表に広がり、農地や家、車をのみこんでいく映像を見ていた。その色が変わる瞬間瞬間に、生きているものが死に変えられるのだ、と感じながら。翌日、原子力発電所が水素爆発。今も放出され続ける放射性物質は、空気や水、食べ物を通して私や子どもたちの体に入り、知らぬ間に命を削り取っていく。そんな暗い予感とともに生き始めた今年の春、私には何度も思い出される言葉があった。ある専門医が、認知症予防を説く話で語っていた言葉である。
「認知症発症の最大の危険因子は加齢である。だから、最も効果的な予防法は早く死ぬことである。」この論理は、今の事態にとてもよくあてはまると思ったのだ。「地震や津波を生き延びた後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)や、放射能による健康被害に対する、最も効果的な予防法は……」と言うのと同じではないかと。確かにそれは論理的には正しいかもしれない。だが、そんなことを言うこと自体が間違っているのではないか?と思ったのだ。地震や津波、原発事故を生き延びたことは、よいことなのだ。ただ、そう思えるだけの根拠があるかということだ。その根拠を作っていくことを、復興と言うのであろうと。
ではどのように? 傷があまりにも大きく深くて、「元通り」にすることが現実的であると思えないような状況で……。その日の後、私が何度も思い出したもう一つの言葉がある。近年、精神障害のある人たちが合言葉のように用いる「リカバリー」という言葉だ。それは、「元通り」を意味しない。障害があり、支援を受け、薬を飲み続けていても、幸福になることができることを知り、そのための方法を身につけ、自分なりの「新しい生き方」を見出していくことなのだという。統合失調症感情障害をもつ宇田川健さん(NPO法人 地域精神保健福祉機構)は、こう語る。「私たち障害者は、必死に一生懸命生活してはじめて、平凡に生きて平凡に死ねる。ただ精神病になっただけなのに不幸だと感じてしまう人を少なくするように、いま私たちは一生懸命、力を尽くして、堂々と生き続けなければならない。……そして、自分の物語を語り続けなければならない。ある困難を振り返って語れるようになった時、リカバリーの最中にあると言える。」私たちにとって現実味のある「復興」とはそういう風に思い描かれるべきなのではなかろうか。
震災も、精神障害も、認知症も、人が生きていく上で直面する危機である。その危機をこえて生き延び、生き延びてよかったと言えるしくみや雰囲気を作り出すことができているかどうか、それは、一部の人たちの問題ではなく、この時代に生きる私たちすべてが直面する課題である。