No.3-ぼけても心は生きている-つらい介護が軽くなる
当会副代表理事の杉山孝博Drによる連載です。全52回、毎週日曜日と水曜日に新しい記事を追加します。
公益社団法人認知症の人と家族の会副代表理事・神奈川県支部代表
公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問
川崎幸クリニック院長
杉山 孝博
「ぼけても心は生きている」。これは、認知症の人と家族の会が発足して以来社会に訴え続けてきたテーマの一つだ。
「認知症になったら何も分らなくなる」「人間性も失われる」と考えるものは少なくない。2002年に家族の会が行った、「家族を通じてぼけの人の思いを知る調査」は、そのようなとらえかたが必ずしも正しくないことを明らかにしている。調査の一部を紹介する。
「『母さん、3月になったら、レコードでも買うて、きれいな服を着いや』。夫はまじめな顔で、じっと私を見つめて言った。ぼけても失わない夫のやさしさがうれしかった」
「『お父さん、本当にありがとう。よく世話をしてくれてありがとう。本当にやさしいんだから。いろいろ心配かけてごめんなさいね。いつまでも元気で いてね』と。前後、支離滅裂な内容を言い続けていたのに、これが妻が私に言った最初で最後の正気の言葉となりました。(略)私は、この時、最後まで、妻を やさしく介護してやろうと決心しました」
このように、認知症が進んでも、「家族に幸せになって欲しい」「家族の体を気遣う」という気持ちは持ち続けている。
「支離滅裂」の状態であっても、このような人間らしい優しさに出会うことができるからこそ、家族はつらい介護を続けられるのだと思う。
「『あなたの笑顔はステキですね』と私の友人が訪ねてきた時に話した。母の精一杯のあいさつ。相手に不快を与えないような心配りが感じられた」
記憶障害、理解力・判断力の低下などがあっても、これまでの人生で培ってきた、人との接し方や気配りなどは長く持ち続けるものである。時には、認知 症があるかどうかわからないほど上手に対応する。もっとも、このように、他人に対しては見事な対応をすることができるのに、介護者に対して激しい症状を出 すため、そのギャップに介護者は悩むことになる。
「痛いリハビリに抗議して『イヤ、イヤというたらイヤ!しないというたらしない。人がこれほどイヤと言うものを、皆は、何の権利があって無理強いするのか。その理由を言え。人権無視じゃあ』」
リハビリや検査、処置なども、そのことが自分にとってどのような意味があるかを理解できない認知症の人には、つらいこと嫌なこと以外ではない。周りの人は認知症の人の気持ちや性格を理解して、介護しなければならない。
杉山孝博:
川崎幸(さいわい)クリニック院長。1947年愛知県生まれ。東京大学医学部付属病院で内科研修後、患者・家族とともにつくる地域医療に取り組もうと考えて、1975年川崎幸病院に内科医として勤務。以来、内科の診療と在宅医療に取り組んできた。1987年より川崎幸病院副院長に就任。1998年9月川崎幸病院の外来部門を独立させて川崎幸クリニックが設立され院長に就任し、現在に至る。現在、訪問対象の患者は、約140名。
1981年から、公益社団法人認知症の人と家族の会(旧呆け老人をかかえる家族の会)の活動に参加。全国本部の副代表理事、神奈川県支部代表。公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問。公益財団法人さわやか福祉財団(堀田力理事長)評議員。
著書は、「認知症・アルツハイマー病 早期発見と介護のポイント」(PHP研究所)、「介護職・家族のためのターミナルケア入門」(雲母書房)、「杉山孝博Drの『認知症の理解と援助』」(クリエイツかもがわ)、「家族が認知症になったら読む本」(二見書房)、杉山孝博編「認知症・アルツハーマー病 介護・ケアに役立つ実例集」(主婦の友社)、「21世紀の在宅ケア」(光芒社)、「痴呆性老人の地域ケア」(医学書院、編著)など多数。