No.5-体験したこと全体を忘れる-否定しないで受け入れる
当会副代表理事の杉山孝博Drによる連載です。全52回、毎週日曜日と水曜日に新しい記事を追加します。
公益社団法人認知症の人と家族の会副代表理事・神奈川県支部代表
公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問
川崎幸クリニック院長
杉山 孝博
普通の人は細かいことは忘れても、重要だと思うことや体験したことを忘れることはないが、認知症では「出来事の全体をごっそり忘れてしまう」ことがある。これを「全体記憶の障害」と呼んでいる。「ひどい物忘れ」に続く、認知症の記憶障害の第2の特徴だ。
訪ねてきた人が帰った直後に、「そんな人は来ていない」と言い、デイサービスから帰った後「今日はどこに行ったの」と尋ねられて「どこも出掛けないで一日中家にいた」などと言うのは、この特徴からくる症状だ。
周囲の人は、明らかな事実を本人が認めないことに驚き、正しいことを教え込もうとする。
「隣のおじさんが来て、先ほどまで楽しそうに話していたでしょう」とか、「これはお父さんが作った作品だけど、どこで作ったの」などと、手がかりを与えて思い出させようとするが、うまくいかないことが多い。
逆に、「誰も尋ねてこなかったし、デイサービスにも行った覚えがないのに、この人はどうして私に間違ったことを思い込ませようとしているのか。ペテンにかけようとしているのではないか」と疑念を増し、混乱に拍車をかけることになりかねない。
それよりも、「体験したことを忘れるのが認知症の特徴だから、思い出せないのは仕方がない。でも、デイサービスで楽しく過ごしてしたのだから、思い出せなくてもそれでよいのではないか」と割り切るのがよい。
認知症の人が電話を受けた場合、上手に対応するので相手も安心して、「何日何時から会合があるので、おうちの方に伝えてください」と頼む。すると、「分かりました。間違いなく伝えます」としっかりした対応する。
しかし、電話を切った瞬間電話がかかってきたことを忘れてしまうので、その用件が家族に伝わらないことが少なくない。
その場合には、電話をかけてくれそうな人全員に「母が出たときはその用件は伝わらないと思ってください。お手数ですが、あらためて私たちに直接お電話くださいね」と話して協力してもらうのがよい対応である。
特に認知症の初期の場合、普段はしっかりしているので、「こんなことを忘れるはずがない。とぼけているのではないか。正しいことを教えないといけない」と考え、事実を確認し教え込もうとして、混乱を一層拡大しがちだ。
そんな時には、「全体記憶の障害の特徴による症状に振り回されているのではないか」と考え直すことが大切である。
杉山孝博:
川崎幸(さいわい)クリニック院長。1947年愛知県生まれ。東京大学医学部付属病院で内科研修後、患者・家族とともにつくる地域医療に取り組もうと考えて、1975年川崎幸病院に内科医として勤務。以来、内科の診療と在宅医療に取り組んできた。1987年より川崎幸病院副院長に就任。1998年9月川崎幸病院の外来部門を独立させて川崎幸クリニックが設立され院長に就任し、現在に至る。現在、訪問対象の患者は、約140名。
1981年から、公益社団法人認知症の人と家族の会(旧呆け老人をかかえる家族の会)の活動に参加。全国本部の副代表理事、神奈川県支部代表。公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問。公益財団法人さわやか福祉財団(堀田力理事長)評議員。
著書は、「認知症・アルツハイマー病 早期発見と介護のポイント」(PHP研究所)、「介護職・家族のためのターミナルケア入門」(雲母書房)、「杉山孝博Drの『認知症の理解と援助』」(クリエイツかもがわ)、「家族が認知症になったら読む本」(二見書房)、杉山孝博編「認知症・アルツハーマー病 介護・ケアに役立つ実例集」(主婦の友社)、「21世紀の在宅ケア」(光芒社)、「痴呆性老人の地域ケア」(医学書院、編著)など多数。