No.51–認知症とわたしの29-年-家族の気持ちを受け止めて

杉山Drの知っていますか?認知症当会副代表理事の杉山孝博Drによる連載です。全52回、毎週日曜日と水曜日に新しい記事を追加します。


公益社団法人認知症の人と家族の会副代表理事・神奈川県支部代表

公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問
川崎幸クリニック院長

杉山 孝博

この連載も今回を含めて余すところ2回となった。今回はわたし自身の認知症とのかかわりを取り上げることをお許しいただきたい。

認知症にかかわったきっかけは、1981年初め、地域医療に関して交流のあった京都・堀川病院の早川一光先生から「家族の会の神奈川県支部を結成したいので手伝ってほしい」という電話をもらったことである。

わたしは学生時代から「サリドマイド」「スモン」といった薬害問題や水俣病などの公害問題に市民運動として取り組んだ経験を持っていたので、支部発足の手伝いを気軽に引き受けた。

会場を手配し、早川先生を迎え、第1回目の「つどい」が開催されたのは1981年4月29日であった。

当時、わたしは認知症の人をあまり多く診察していなかったし、認知症の症状や出現率などの基本的なデータすら知らなかった。しかし、在宅ケアを懸命に行っている家族を支えることに医療は一定の役割を果たすことができると考えていた。

それでも初めは、「つどい」に毎回出て医療的なアドバイスをすればよいのではないかと考える程度であった。

ところが病院の診察室では経験することのできない、家族の思いや率直な希望、医療に対する不満を直接聞くことができて、認知症に対する自分自身の認識の甘さを思い知らされた。

認知症パンフレットの作成、「ぼけ相談室」の開設、介護教室の講演などに積極的に取り組むようにした。

専門家としての立場から認知症をめぐる普遍的な問題を抽出して、「認知症をよく理解するための9大法則・1原則」「家族のたどる心理的ステップ」「上手な介護の十二ケ条」などの形にまとめて、認知症の問題をだれにでも分かるように努めてきた。

90年代半ばからは、認知症グループホームの調査研究や、その質の向上を目指すための外部評価制度の確立にもかかわった。

家族の会全国本部では94年に理事、2005年には副代表理事となり、同会神奈川県支部では2000年に代表となって運営に携わることになった。

29年前、認知症問題にこれ程までにかかわりを持つとは想像もできなかった。切実なニーズに基づいた当事者の気持ちを理解しまじめに取り組めば、 10年後、20年後には皆が理解してくれるようになると自信を持って言えるようになった。家族の会にかかわったお陰だと感謝している。


杉山孝博:

川崎幸(さいわい)クリニック院長。1947年愛知県生まれ。東京大学医学部付属病院で内科研修後、患者・家族とともにつくる地域医療に取り組もうと考えて、1975年川崎幸病院に内科医として勤務。以来、内科の診療と在宅医療に取り組んできた。1987年より川崎幸病院副院長に就任。1998年9月川崎幸病院の外来部門を独立させて川崎幸クリニックが設立され院長に就任し、現在に至る。現在、訪問対象の患者は、約140名。

1981年から、公益社団法人認知症の人と家族の会(旧呆け老人をかかえる家族の会)の活動に参加。全国本部の副代表理事、神奈川県支部代表。公益社団法人日本認知症グループホーム協会顧問。公益財団法人さわやか福祉財団(堀田力理事長)評議員。

著書は、「認知症・アルツハイマー病 早期発見と介護のポイント」(PHP研究所)、「介護職・家族のためのターミナルケア入門」(雲母書房)、「杉山孝博Drの『認知症の理解と援助』」(クリエイツかもがわ)、「家族が認知症になったら読む本」(二見書房)、杉山孝博編「認知症・アルツハーマー病 介護・ケアに役立つ実例集」(主婦の友社)、「21世紀の在宅ケア」(光芒社)、「痴呆性老人の地域ケア」(医学書院、編著)など多数。


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