鎌田松代代表の日日是好日-2024年9月

<2024年9月号掲載>鎌田松代代表が、活動の中での出来事をお届けします。

「人はお互いに迷惑をかけ合いながら生きている」から始まる共生社会議論

1. 人に迷惑をかけないようにと教えられ。迷惑はかけるもの?

棚経においでくださった僧侶がお経をあげたあとの講話で「『ひと様に迷惑をかけないように』と小さい頃より親には教わって育ってきたでしょう。しかし、人は『お互いに迷惑をかけ合いながら生きている』と自覚することが大事なのです」と話されました。以外な言葉に聴き入り考えこみました。

「迷惑」の意味は他人の行為により、不快になったり困ったりすることや、その様子を表す言葉とのことです。迷惑駐車、迷惑メールなど、さまざまな行為に対して使われどれも、相手を不快にしたり、困らせたりする行為として使われています。

仏教における「迷惑」とは、「道に迷い、心が戸惑うこと」を意味しているとのことです。

「ひとに迷惑をかけないように」を肝に銘じながら生きてきていました。
考え込んだ先に思ったことは、『人はお互いに迷惑をかけ合いながら生きている』ということは「お互い様」ということではないのか!!人それぞれのさまざまな価値観や行動、能力などに目を向け、認め合い尊重することのように思えました。寛容という言葉も浮かびました。寛容とは「心が広く、よく人の言動を受け入れること、また他の罪や欠点などを厳しく責めないこと、そのさま」と書かれていました。

2. 共生社会の実現とは

「共生の実現を推進するための認知症基本法」では「認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会( 以下「共生社会」という。) の実現を推進することを目的とする。としています。障害者基本法でも同様の文章が記述されています。

僧侶の講話での『人はお互いに迷惑をかけ合いながら生きている』で共生社会がどんな社会か見えてきたように思えています。「認知症の人は支えられるだけの存在ではない」のです。

観点は違いますが、当事者参画についてで、本人委員の方が「認知症の人が話すことだから、すべて意見として取り入れるはおかしい」との発言がありました。一人の人として人権を尊重したのなら、異論があれば認知症の人の意見であっても配慮はしながらも、その考えへの意見はしてほしいとの思いと受けとめました。

当事者参画から共生社会の実現は始まると考えています。参画には『人はお互いに迷惑をかけ合いながら生きている』を根底にした議論と思いました。

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