むかぁ~し昔、あるところに(早川一光)
むかぁ~し昔、あるところに(早川一光)
わらじ医者が語る認知症人間学 「家族の会」顧問 早川一光
はやかわかずてる:1924 年生。京都府立医科大学卒業後、京都・西陣に住民出資の白峰診療所を開設。その後、堀川病院に発展。同病院院長を経て現在は総合人間研究所所長。
筆が…重い─今までいろんなところに文章を書いてきましたが、こんどは筆がなかなかすすまない。
八十八才になって「筆に目方がある」ことを知った。
それは30 年のあゆみを続けてきた、あの有名な“呆け老人をかかえる家族の会”の会報に連載する御指示─一体、今の今も、お年寄りを抱えて苦労なさっている全国の会員さんは、一体何が本当に聞きたいのか?発足以来30 年、「家族の会」を守り育ててこられた全国支部の世話人の皆さんはこれから何を知りたいのか?考えれば考えるほど、筆が重くなる。考えあぐねて「家族の会」事務局にお電話した。
「『ぽ~れぽ~れ』ってどういう意味のコトバですか?」
「アフリカのスワヒリ語なんです」
「どういう時に使うんですか」
「ゆっくり、やさしく、おだやかに、という…」
「あっ、そうですか、安心しました。急がなくてもいいんですね」
「それは困ります! 締め切りはもうとっくに過ぎています。早く! 急いで!!…」
〝ゆっくり、ゆっくりでいい〟と、口では言いながら、明日にも届けろと言われ、ヨシ! 書こうと突然バネ仕掛けの人形のように筆が動き出した。
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「ムカシ ムーカシ アルトコロニ……」
「なあんや、じいちゃん、また、昔物語かァー」
「〝マタ〟トハ何ジャ」
「じいの話は、いつも昔の話! 昔って何時(いつ)ごろの話やな、江戸時代か?」
「江戸? … 徳川? …… イヤ ソレヨリモ モットモット ムカシヤ」
「神代か?」
「ウン ソレヨリモ昔 ソウダナ イツモ イツデモ」
「ふ~ん、大昔から?」
「ソオダ!」
「あるところって、どこや?」
「ドコニデモ トイウコトヤ」
「あ、そうか。大昔から、どこにも、おじいさんとおばあさんが居た、ということか?」
「ソージャ! ヤット 分カッタカ!!」
「う~ん…なるほど~、じぃ、ばぁは、昔からどんな所にもいっぱい居たということかぁ~」
「分カッタラ ソレデエエ─ オジイサンハ 山ヘ 芝カリニ─」
「芝って何や、甲子園の芝とどうちかうんや」
「アレハ“人工芝” 里山ノ木ノ下草ヲ刈リ集メテ 風呂ヲワカシ ゴハンヲタイタ」
「おじいさんのところには、芝刈り機はなかったんか?」
「オバーサンハ 川ニセンタクニイッタ」
「あんな汚い川で洗濯したんか? おばあさんの家に“洗濯機”なかったんか?」
……天の声:じいちゃんの昔物語は、はるか離れた大空からの語り、時代も背景もちがう世界からの語り、孫たちに分かるはずはあるまい。と思いながらも、 少なくとも、 年寄りは、今の世に急に増えたものでも現れたものでもない。昔から、いつでもどこでも居て、若者と子どもと共に暮らしてきた。
尊敬されながら─大切にされながら─少子高齢社会来る、大変! 大変!! と右往左往する今の社会のほうが大変なのではないかと考えながら、重い筆をすすめる。
昔から、傘寿、米寿、卒寿、白寿という言葉があり、その節々を迎えたお年寄りを〝おめでとう〟と祝い、共によろこぶ行事が残っている。
それは、生き抜いてきた親の苦労に感謝し、自分たちを育ててきた努力に感動した日々の暮らしの中から、自然にうまれた人間らしい行動に思えて仕方がない。
しかも、年をとっても、能力をおとしながらも自分のできる仕事を少しでも探そうと努力する姿を。
〝むかしむかし あるところに〟という寝物語としても、子や孫、ひ孫に言いつぎ残していく、見事な昔の“老い方上手”に脱帽せざるを得ない。
私も負けないように、この「ぽ~れぽ~れ」に、僕の“たどり来し道、たどりゆく道”を語りつづけていく。
2011年4月25日発行会報「ぽ~れぽ~れ」369号より