認(にん)知(ち)症(しょう)は脳(のう)の病(びょう)気(き)です。さまざまな症(しょう)状(じょう)により生(せい)活(かつ)にえいきょうが出(で)ます。認(にん)知(ち)症(しょう)の人(ひと)や家(か)族(ぞく)のおはなしを聞(き)いて、不(ふ)安(あん)やなやみを知(し)ることが大(たい)切(せつ)です。さあ、もっと認(にん)知(ち)症(しょう)のことを知(し)ろう!
認(にん)知(ち)症(しょう)は脳(のう)の病(びょう)気(き)だといわれています。さまざまな症(しょう)状(じょう)がありますが、代(だい)表(ひょう)的(てき)な症(しょう)状(じょう)のひとつにもの忘(わす)れがあります。
たとえば、みなさんは、“さっき食(た)べたのに、ご飯(はん)を食(た)べたこと”そのものを忘(わす)れてしまったことはありますか?昨日(きのう)のご飯(はん)がなんだったか忘(わす)れてしまっているかもしれませんが、ご飯(はん)を食(た)べたことは覚(おぼ)えているのではないでしょうか?
しかし、認(にん)知(ち)症(しょう)の人(ひと)は、“ご飯(はん)を食(た)べたこと”そのものを忘(わす)れてしまうことがあったりするのです。つまり、できごとすべてを忘(わす)れてしまうのです。
脳(のう)の中(なか)にある神(しん)経(けい)細(さい)ぼうが、減(へ)ったり、なくなったりしてしまうことによって、うまく働(はたら)かなくなります。このようなことは、脳(のう)に異(い)常(じょう)な物(ぶっ)質(しつ)がたまったり、栄(えい)養(よう)や酸(さん)素(そ)を届(とど)ける血(けっ)管(かん)がつまったり、やぶれたりすることが原(げん)因(いん)といわれています。神(しん)経(けい)細(さい)ぼうはいろいろな働(はたら)きをしています。ものごとを覚(おぼ)えておく、からだを動(うご)かす、おはなしをするなど、たくさんの役(やく)割(わり)をしています。減(へ)ったり、なくなったりして働(はたら)きが弱(よわ)くなった神(しん)経(けい)細(さい)ぼうがある脳(のう)の場(ば)所(しょ)によって、いろいろな具(ぐ)合(あい)の悪(わる)いことが起(お)こります。具(ぐ)合(あい)の悪(わる)いことが起(お)こる場(ば)所(しょ)は人(ひと)によってちがいます。
2012年(ねん)の調(ちょう)査(さ)では認(にん)知(ち)症(しょう)の人(ひと)は460万(まん)人(にん)、2025年(ねん)には730万(まん)人(にん)になると予(よ)測(そく)されています。
お年(とし)寄(よ)りになればなるほど多(おお)くなります。85さい以(い)上(じょう)のお年(とし)寄(よ)りは3人(にん)に1(ひと)人(り)が認(にん)知(ち)症(しょう)だといわれています。また、少(すく)ないですが、若(わか)くて30さい代(だい)で認(にん)知(ち)症(しょう)になる人(ひと)もいます。
認(にん)知(ち)症(しょう)になると、もの忘(わす)れで同(おな)じことを何(なん)度(ど)も聞(き)いたり、お財(さい)布(ふ)をどこに置(お)いたか忘(わす)れてしまうなど、生(せい)活(かつ)の中(なか)でたくさんの困(こま)りごとがでてきます。体(たい)験(けん)ストーリーでは、タロウさんのおばあちゃんはからあげの作(つく)り方(かた)を忘(わす)れてへんな味(あじ)のからあげになってしまいました。タナカさんは曜(よう)日(び)がわからなくなり、まちがった日(ひ)に学(がっ)校(こう)にきましたね。このようにものごとを行(おこな)う順(じゅん)番(ばん)(手(て)順(じゅん)ともいいます)や、今(きょ)日(う)が何(なん)日(にち)で何(なん)曜(よう)日(び)などがわからなくなります。
今(いま)の医(い)りょう技(ぎ)術(じゅつ)では、認(にん)知(ち)症(しょう)を治(なお)すことは難(むずか)しいです。
家(か)族(ぞく)から、「もの忘(わす)れがひどくなっているよ」といわれ、自(じ)分(ぶん)でも物(もの)の置(お)き場(ば)所(しょ)を忘(わす)れてしまうことが増(ふ)え、探(さが)しものが多(おお)くなりました。お医(い)者(しゃ)さんに行(い)き、アルツハイマー型(がた)認(にん)知(ち)症(しょう)といわれました。
近(きん)所(じょ)で子(こ)どもたちの登(とう)下(げ)校(こう)を見(み)守(まも)る活(かつ)動(どう)をいっしょにしている友(ゆう)人(じん)に話(はな)したら、「さそいに行(い)くからいっしょに続(つづ)けようね」といってくれました。できることをしていくほうが、病(びょう)気(き)の進(しん)行(こう)予(よ)防(ぼう)になるとのことで続(つづ)けています。不(ふ)安(あん)はあるけど、同(おな)じ病(びょう)気(き)の人(ひと)とも出(で)会(あ)えたので、助(たす)け合(あ)いながら暮(く)らしています。
認(にん)知(ち)症(しょう)だとお医(い)者(しゃ)さんにいわれた時(とき)は、仕(し)事(ごと)も辞(や)めることになり、絶(ぜつ)望(ぼう)することばかりでした。しかし、48さいの現(げん)在(ざい)は、同(おな)じ病(びょう)気(き)の人(ひと)や認(にん)知(ち)症(しょう)についてくわしく知(し)っている職(しょく)業(ぎょう)の人(ひと)に手(て)助(だす)けをしてもらいながら、新(あたら)しい仕(し)事(ごと)をしています。
今(いま)までできたことができなくなってしまうことです。そして、そのことでイライラしてしまうことです。
サイフの置(お)き場(ば)所(しょ)がわからなくなり、一(いち)日(にち)中(じゅう)探(さが)しまわったり、同(おな)じことを何(なん)度(ど)も聞(き)いたり、話(はな)したりするので、つい大(おお)声(ごえ)でしかったりしてしまいます。
でも、忘(わす)れることでの困(こま)りごとは多(おお)いですが、思(おも)いやりのあるやさしい性(せい)格(かく)は病(びょう)気(き)になる前(まえ)と同(おな)じです。体(たい)験(けん)ストーリーのように、おばあちゃんがタロウさんにすきなものをつくってあげようとしたやさしい気(き)持(も)ちや、タナカさんがレイナさんたちに、もっとバスケットボールがうまくなってほしいという思(おも)いは認(にん)知(ち)症(しょう)になっても変(か)わりません。
まちがっていることを、「まちがってますよ」というと、認(にん)知(ち)症(しょう)の人(ひと)は「いやだなあ」という気(き)持(も)ちになったりします。
できることをいっしょに楽(たの)しむのが病(びょう)気(き)を悪(わる)くしないといわれています。体(たい)験(けん)ストーリーにあるように、タロウさんが考(かんが)えたようなおかあさんもいっしょに料(りょう)理(り)をする、レイナさんたちが日(ひ)にちをまちがって来(こ)られたタナカさんにバスケットボールを教(おし)えてもらうなどです。
忘(わす)れても困(こま)らないように、予(よ)定(てい)を紙(かみ)に書(か)いてわたすなどの方(ほう)法(ほう)が考(かんが)えられますが、方(ほう)法(ほう)はそれぞれで異(こと)なります。
認(にん)知(ち)症(しょう)になっても、うれしく思(おも)う気(き)持(も)ちや楽(たの)しい気(き)持(も)ち、「いやだなあ」と思(おも)う気(き)持(も)ちは変(か)わりません。
道(みち)を歩(ある)いていて、困(こま)った様(よう)子(す)の人(ひと)がいれば、声(こえ)をかけて近(ちか)くの大(おと)人(な)に伝(つた)えてください。認(にん)知(ち)症(しょう)の人(ひと)かもしれません。
認(にん)知(ち)症(しょう)だけでなく、困(こま)っている人(ひと)がいたら、何(なに)か手(て)助(だす)けできることはないかと声(こえ)をかけたり、大(おと)人(な)の人(ひと)に知(し)らせたりすることで、みんなが笑(え)顔(がお)で安(あん)心(しん)して暮(く)らせるようになります。思(おも)いやりの気(き)持(も)ちは大(だい)事(じ)です。
2つのストーリーを体験たいけんして認知症にんちしょうを学まなぼう!