アチキ
ランチを食べに「いつものお店」に来ましたが、アチキはなんとなく来たことがあるようなお店だなあとは思いつつも、なんだか落ち着きません。
コチキに「いつものでいい?」と何をたのむか聞かれますが、アチキは「いつもの」の意味がわかりません。
さらに「いつものランチセット」だということがわかっても、それがどんなメニューなのか、いつもそれを自分が好んでたのんでいることを覚えていないことに不安になります。
ランチが運ばれてきておいしく食べたのですが、まったく物足りません。「ごちそうさま」と言うと、コチキに「またいつものように料理が残っている」と言われます。完食したつもりでいるアチキは「残っている」ことも「いつものように」という意味もわかりません。
さらに「両側の料理にまったく手をつけていない」とコチキに言われますが、アチキにはいま完食した正面にあるお皿しか見えません。両側に料理などないと伝えると、コチキはアチキの正面にある空になったお皿をよけて、両側の料理を正面に持ってきました。
アチキは見えていなかった料理が急に目の前にあらわれておどろきます。
コチキ
朝からケンカをして仲が悪くなったので、気分を変えようとランチに行こうとさそったコチキ。
「いつもの」お店なので、アチキもリラックスして、「いつも」注文する好みのランチを食べて元気になってくれるだろうと思いました。
けれど、「いつもの」ランチが伝わりません。好みのメニューをわすれ、自分で注文ができないアチキにさみしい気持ちになります。
自分の正面の料理だけをもくもくと食べるアチキ。心配して見ていると、やはり正面以外の料理には手をつけず「ごちそうさま」と言います。
医者からは「見る力(視力)はわるくなくても、目の前のものが何であるかがわからなくなる」と聞いています。アチキは日ごろから食べものに手をつけないことがあったり、一つのおかずだけを食べたりするので、コチキは今日のように手をつけていないお皿を正面に持ってきたり、一つのお皿やどんぶりにもりつけるなど工夫しています。
病気であることはわかっていますが、食べることが大好きで、料理を残すことなどなかったアチキのことを思うと、コチキは切ない気持ちになります。また、しっかりしてと強く言ってしまうこともあり、悲しい気分になってしまいます。